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誰でも例外なく愛されている存在だということ。 人生の発想

2008/05/03 23:50


人間は、誰でも例外なく愛されている存在です。

今の日本では、地域コミュニティーのつながりが薄れてきて、
隣の人の顔や名前を知らなかったり、

仕事仲間も会社の中だけの関係でプライベート付き合うことはなく、
心からの本音を話すこともない、そんな環境の人が多いと思います。

日本人は欧米人に比べて会話の表現だとか、
感情を表に出しにくい民族かもしれません。

我慢強いといえば聞こえがいいですが、
表に出さない性格が災いし外にストレスを発散することも苦手で、
溜めてしまう人が多いことが、鬱や自殺者の増加に現れていると思います。

東京の街で暮らしていても、
通勤でギュウギュウの満員電車に揺られ、
すれ違う人と肩をぶつかっても何も謝らない。

仕事が終わった後、コンビニに寄って遅い晩飯を買い、
誰もいない一人暮らしのアパートに帰ると、
寂しさを紛らわすためにテレビをつけ、ビールを開ける。

だけど、気がつくと虚無感や孤独感が消えない。。

以前は私にもそんな時期がありました。

しかし、今は違います。
環境が変わったかといえば、そうでもなく、
仕事で遅くに帰って、誰もいない部屋も一緒です。

明らかに変わったといえば、今は心の感情を
顔の筋肉をフルに使って表現できるようになりました。

「楽しい!」
「嬉しい!」
「ありがとう!」と素直に言えるようになったからです。

では、何が変わったのか?
それは、決して一人ではないことに気がついたからです。

それは、物理的に恋人がいるだとか、
友人がいるだとかということではありません。

ただ、いま生きていることで、
一人ではないと感じ安心できたからです。

これは、ノウハウだとか、手法で解決するようなものではなく、
気づくだけで、感じるだけでいいのです。

“誰でも例外なく愛されている存在”だということを。

本当に愛されていなければ、
十月十日をお母さんのお腹の中で過ごすことができず、
生まれてくることもできません。

本当に嫌だったら、中絶という手段だってあるのですから。

だから、どんな人でも少なくとも、
生まれる瞬間に戻れば、愛され必要とされ生まれてきているのです。

愛は時間でも量でも量ることはできませんので、
この生まれる一瞬に愛された経験を感じ、大きくすることができます。

つまりシンプルに言ってしまえば、
生まれているということだけで、
愛されている存在ということです。

そして、人間は一人では生きていくことはできず、
常に愛されていてそこに存在しているということです。

常に人と接し、人を感じながら生きていますよね。

また、愛してくれているものは、
目に見えないものかもしれません。

ただ、そんな愛されている存在だから
自信を持って自分を愛してあげてほしいのです。

私の尊敬するミャンマーのお坊さんは、
面と向かって、
「私は、あなた以上にあなたを愛している」と言う方です。

それは誰に対してもです。

愛されている実感が、安心を生み、
感謝ができるところまでいくと、

全ては、ただ存在している(ある)だけで、
良い、悪いとつくり出していることすら
自分自身なのだと気がつきます。

真実はひとつ。
誰でも例外なく愛されている存在だということ。

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ハッピー孤児院の子供たち 人生の発想

2008/05/02 19:14


ハッピー孤児院の子供たち

カンボジアで一番はじめに行った孤児院は、
プノンペンから車で6時間くらい行った
アンコールワットでも有名な街、シェムリアップにあります。

私がこの孤児院を訪れるのは今回で2回目で、
前回は少しの時間しかいなかったこともあり、
子供たちが覚えているか心配でした。

それもいらぬ心配で、
孤児院に入ってすぐ「TAKA!」と声をかけてくれ、
すごく嬉しかったのを覚えています。

孤児院の子供たちをみれば、
子供たちを育て、親代わりをしている人の
人となりがみえてきます。

子供をみれば、親がわかると言われるのは、
日本でも一緒ですね。

ハッピー孤児院の子供たちといえば、
まさしく「キラッキラッ」でした。

純粋な笑顔で愛嬌もあり、
挨拶もできて、素晴らしい子供たちです。

着ているものはボロボロで、
自分の物と呼べるものは何も持っていない
親もいない子供たちですが、
日本の子供たちにはない「キラッキラッ」した純粋なものを
持っていると感じました。

そのハッピー孤児院で、物資を手渡しし
日本から持参したコマや野球、ダーツなどのおもちゃで
一緒に遊びました。

今回のカンボジアのもうひとつの目的である
絵本プロジェクトの読み聞かせについても
カンボジアのプリンセスやリトルプリンセスに協力してもらい
目をランランとさせながら聞き入る子供たちの表情もとれて
大満足でした。

また、次回は絵本を届けるときに
ハッピー孤児院には行く予定です。








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直接手から手へ、心の活動“ダイレクトアクション”とは? 人生の発想

2008/05/02 12:27


ダイレクトアクションとは、直接手から手へ届ける心の活動です。

そして、支援の大小に関わらず、“一人一人ができることをする”
ことの素晴らしさを実感する瞬間です。

ダイレクトアクションは、
心の活動ということで届け方は人様々ではあるのですが、
基本的におさえておかなくてはいけないことがあります。

それは、“相手の眼をみて、両手で渡す”ということです。

我々のような、世界でも数少ないお金を持った国の人間は、
お金を持っている人のことを上に置き、
お金を持っていない人を下に置きがちです。

それは、支援にも表われ、
支援国に行くと横柄になる人は問題外ですが、
「可哀想に・・・」などと同情の言葉に表われてくることがあります。

また、たとえば道で座っている人へお金を渡す時に、
片手で上から投げ入れるようにする人は、
明らかに“支援してあげている”意識になっています。

これでは、もらったほうも、
支援された弱者のような扱いを受けることにより、
プライドや誇りは失われ、自立心が育ちにくくなってしまいます。

これは、支援しているのでしょうか?
むしろマイナスに働いていることすらあるでしょう。

支援と一口に言っても、
「良いことを気持ちいい~」などと思うための
自己満足の道具ではないという考え方が大事なのです。

そして、お金のような物資的もので人間を比べることなく、
同じ人間として心から動くということです。

それを理解すると、支援するもの・支援されるものの垣根はなく、
「自分は幸せだから、幸せを分け合いにきたよ」という
同じ人間としての心の活動へと変化します。

だから、渡す瞬間に思うことは
「もらってくれてありがとう」ということなのです。

中には、渡しながら意味もわからず涙を流す人もいます。

それは、手から手へ、そして心から心へと
繋がりを実感した瞬間でもあるからです。

その繋がりの実感こそ、
この活動の醍醐味かもしれません。

つまりダイレクトアクションとは、単なる支援ではく、
一人一人ができる範囲での心の活動を通して、
成長し、自立していくためのプロセスなのです。









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